ローマより約30km南のGENZANO DI  ROMA市で毎年6月に200年以上も続いている 歴史 のあるINFIORATA「宗教的儀式で花びらをまいてきれいな絵を作るお祭り」が2日間(準備をいれると3日間)開催されます。
 INFIORATAは、昔、あるマスコミ記者によりこの町の由来を伝承するために生まれたものでした。6世紀に生まれたcorpus domini「ローマ大全集で、corpusというのはキリストの体、すなわち小麦粉と水で表現されている聖体のパン」を祝典する儀式を1782年 ARCANGELO LEOFREDDI卿が住んでいたSFORZA通 りで始めたいと願ってALBANO LAZIALI司教にお願いしたのが始まりです。 司教はこの大事な3大宗教行事のうち一つでも継承していきたいと思い,VIA SFORZIA通 りで開催されました。その頃は大変神聖なる聖礼典で花模様のカーペットが敷かれていましたが、非常にこじんまりした儀式だったのです。

 SFORZA通りでこの式典が行われるのに感謝したARCANGELO卿はその通りに住んでいた住民と一緒に今までになかったような華やかな花の演出をしてみせました。そう、地面 をすべて花で飾り埋め尽くしたのです。GENZANO市民が参加して行われたそうです。その頃はかなり、かしこまったこじんまりした式典は今では形を変えて次第に町の中心の通 りで行われるようになっていきます。

  INFIORATAが大勢の人達に支えられ毎年盛大なり、GENZANOで催されるヨーロッパの祭りとまで称されるようになります。 1800年代でもっとも有名な辞書を作ったGAETANO MORONI氏が
sforza通りで行われたINFIORATAは1730年で終わりをむかえたことを明らかに書き残してます。
1776年にVIRGINI0 BRACCII によってS. SEBASTIANOの噴水が重要な作品として作られて
大切にされていたのですが、1836年にSFORZA 通りに移動されます。この噴水は今日も残っています。この噴水の移動により、以前噴水のあった通 りに住んでいた住民は、INFIORATAの参加を拒否します。そしてvia livia「今日のBELARDI通 り」の住民のみが式典に参加したということです。 1800年後半から実質的にお祭りは定着し、近所住民だけではなく、町中の人々が参加するようになります。LIVIA 通りに花の絵をそれぞれに作り住民はグループに分かれて、それをつなげて長い絨毯を敷き詰めたような美しい花の絵が 出来るようになったのです。 その広さは1890平方メートルに及びます。花は45万本に加え緑の部分になる 葉、野菜などが使われます。黄色はエニシダ、赤はカーネション、緑はツゲと 野菜のフェンネルの葉などを主に用いられます。 いろいろな遍歴を経てこのINFIORATAはGENZANO市を代表する貴重な世襲財産になってきました。今日では1日25万人が見学に訪れます。


INFIORATAはいろいろな表情をみせてくれます。 まず、下絵を準備し、その上に花が敷かれて絵になります。 この絵はコンクールで選ばれたもので市民が参加資格をもちます。 花は「spelluccamento」と呼ばれる花びらと茎を分ける作業から始まります。前日の夜に下絵を地面 に描き、当日の早朝に花びらを丁寧に置きながら絵にする作業は12人ほどの人たちで3〜4時間かかります。 花絵は12時ごろ完成し、宗教行列はS SACRAMENTO教会より司祭がその上を歩き本来のINFIORATAの目的を果 たします。 フィナーレは、月曜日の夕方「spallamento」といわれる花の絨毯の上を子供たちが駆け抜けて終わりを告げます。子供のエネルギッシュなダッシュが明日のINFIORATAの活力となって今日まで受け継がれ、大切なお祭りのフィナーレになっています。1778年に始まり1940〜45、戦争の時期以降は毎年欠かさず行われています。近年では、イタリア人アーチストの絵の参加があります。
 
  今年2004年のテーマは自由、平和、自由主義です。STEFANO DI STASIOが「秘密の出会い」と題した絵を発表します。そして、200年以上たって町の人だけで参加していたINFIORATAは、初の外国からの参加として日本が選ばれました。 日本人学校の子供たちが「日本と私たち」というテーマの絵を作り参加します。 イタリアに住んでいる日本の子供たちの作る絵を見逃すことができません。 出来るだけ多くの日本人の方に由緒あるINFIORATAを知っていただく機会になればと願うばかりです。


 
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